インビクタス/負けざる者たち

クリント・イーストウッドがまた新作を出したので観た。

また泣かせてくれるのかな、という期待。始まりは常に静か。映像はこれまでのように抑えた色合い。

最後、徐々に盛り上がり、引き込まれた。

ぼくの左隣の女性は、もう涙でグズグズになっているのが判る。右隣のわが妻は珍しく気配を消して見入っているようす。ぼくは涙腺が開くのをぐっと我慢。

これは南アフリカのネルソン・マンデラ大統領が、黒人政権によって新しい国家を立ち上げたときの本当のエピソードなのだそうだ。

いまだ白人と黒人が対立している政権樹立直後の南アフリカでラグビーのワールドカップが開催された。南アフリカ代表チームは、白人中心の誰が見ても勝てるとは思えない弱小チームだった。

そのチームの主将にマンデラ大統領は「自分たちの能力以上の力の発揮」を求める。困惑する主将に大統領は、それは可能だという。負けざるものは決してあきらめない。

映画後半は、ラグビーの試合中心に展開する。ぼくらはまるで、ワールドカップの会場にいるかのような気持ちになる。激しい試合展開に引き込まれていく。

ぼくのようなラグビーをまったく知らない人間でも画面に引き込まれていく。その戦いに涙が出る。

そのラグビーの試合を通して、対立していた南アフリカの全国民は互いに肩を組み大声援を送り始める。その姿に涙する。

すべてが終わり南アフリカが変わった瞬間をぼくたちは目撃する。それが史実であることに感動する。

前作と比較したら地味な映画ですが、イーストウッド、またやってくれたなあ、という感じです。

観終わってある種の爽やかさ。

エンドロールで歌われる「ジュピター」。アフリカンなリズムで良い。歌詞の翻訳も出ます。これも良い。

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smc PENTAX DA21mm f3.2 AL Limited

当然ですが、写真と記事(映画)とは関係ありません。この日我が家からみた朝焼けです。

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アバター

これから映画は3Dになっていくのだろう、と納得した。

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smc PENTAX DA21mm f3.2 AL limited

入り口で専用のメガネを渡され観るのである。眼鏡越しに観るために、少し画面が暗くなり、それなりの違和感も少しあるが、そのデメリットを補うほど映像に奥行きが感じられる。

昔の3D映画は、やたらと画面からこちら側にものや顔を飛び出させたりして、観客を驚かすことばかりやってくれ、観ているものは疲れてしまうのが常だった。

今度もそんなことばかりやられて、およそ3時間の映画を観ていられるものかと思ったが、なになに、すぐに映画に引き込まれてしまった。

観客を驚かすような演出はなく(一度だけ思わず催涙弾を避けて身を引いたけど)、むしろ、3Dの奥行きを生かして、山河の遠近感とか、戦闘ヘリのコックピットの液晶パネル表示とかを、じつに本物らしく見せてくれ、ずっと安心していられる。

フルCGの映像はじつに美しく、登場するクリーチャーの完成度は高い。舞台となるパンドラ星の自然描写は、できの良いゲームソフトの映像と同じほどに緻密で見入ってしまう。

日本語字幕も宙に浮かんで見えてくる(時にそれがうるさいけど)。

まだ3D描写がうまくなく、にじんだように見える部分も散見されるが、いずれもっと技術がよくなれば、解決されることと思う。たぶん来年にはもっと優れた作品がでてくることだろう。

これはおもしろい。おそらく将来、3D実用化のエポックとなった映画として語られるのではないかと思う。

観て損はないと思う。

最後に、ぼくのように英語が得意でない人は、吹き替え版3Dを観たほうが良いと思います。なぜなら、字幕版だと、どうしても字幕に注意がいってしまって、肝心の映像を楽しめないからであります。

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マイケル・ジャクソン THIS IS IT

ホントに良いものを観させてもらったというのが感想。

マイケル・ジャクソンのドキュメンタリー(といっても良いと思う)映画、マイケル・ジャクソン THIS IS IT を観てきた。

彼の最終ツアーのリハーサル映像なのだが、ステージを作り上げていくマイケルの素の姿が映し出されており、それがすごく良い。

映画を観たというのではく、質の良いステージをじっくり見てきたような気持ちだ。

ベーシストに、口伝えで弾き回しを伝えたり(そこだけでも一聴の価値あり)

キーボードのリズムをゆっくり噛んで含めるように指示したり(手の動きが実になまめかしい)

自分から「キューを出すから」とディレクターにサインの変更を求めたり、

ギタリスト(上手い!)に「ここが君の最高の場面なんだから」と高音のリードを求めていったり、

細部にわたって自分の求めるステージを実現しようとするマイケルの歌とダンスにぼくらは釘付けになる。

共演者はものすごく高い倍率のオーディションを潜り抜けてきた人たちばかりで、映画が始まってすぐ、そのパフォーマンスの高さに引き込まれる。

だから、この映画(ステージ)が始まるとすぐに「このまま終ってほしくない」という思いが生まれる。リズム、旋律、マイケルのボーカル。実に良い(こればっかりですね)。

終始ずっと魅入ってしまう。

最後にはマイケルが伝えたかったメッセージが、ステージ用の映像とともに流される。

ぼくたちは、彼がこの世にもういないことの現実と、大切ななにかを失ったことを知る。(クレジットが終っても決して席を立たないように。)

本当に良いステージでした。それが実現できなかったことが本当に惜しまれます。すべての人に観てもらいたい映画です。

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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破をようやく観た。

新劇場版と銘打ったシリーズの2作目。これまでのシリーズを再構成した新作となっている。

だから、ここからエヴァを見始めても、問題ない。観たことの無い人は今回是非観てください。入っていけます。

TV版、劇場版、そして新劇場版:序、と見てきた者は、もともとエヴァンゲリヲンの基本をなすディテイルがある部分そのまま再利用されていたり、真逆に転用されているのが判って、笑えるし、より深い理解を得ることができる。

ようやく登場してきたアスカ・ラングレーの苗字がこれまでとは違うものとなっていることを物語序盤で知らしめることで、再構築の意図を明確にしている。え?と思うし、なるほど再構築してきたか、とぼくたちは認識する。だから、観客はこころの準備をして、以後の展開を見守ることができるわけだ。

エヴァに関していろいろなことを語ろうとしても、物語が深すぎ、謎解きが難しいために無理。

だがこの「破」は面白い。これまで持っていた意図的な衝撃性・観客への裏切り、みたいなものはないし、ストーリーがソフトになって判りやすくなっている分、娯楽性が増した。謎も増えた。

一方、絵作りはますます緻密になり、迫力が増し、たぶん現在のアニメの最高峰と思える出来。ぼくのようないい年をしたオヤジでも、結構面白がっているわけですから、その観客のすそ野は広いと思われる。

次作「Q」を待とう。その前にもう一回「破」を見ても良いかな。

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男と女の不都合な真実

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このビルの近くにある映画館へ行った。

午前の部ではあったが、観客は10人くらいで非常にゆったりとした気分でいられた。

で、映画。

笑いました。でも声を出して笑えないというのが苦しい。アメリカンジョークっていうのか。お下劣というべきか。セックス、フェラチオ、コック、けつ、尻、バイブ付パンティ、あそこ、びちょびちょ。こんなワードが次々とでてきます。でも、けっして隠微でないわけで。さらりとしています。

美人でありながらしかし色気に欠け、でも自分に男がいなくてやや妄想ぎみな才媛アビーと、歩く生殖器的お下劣男を演じるマイクが主人公。

なんとかボーイフレンドをゲットしようとするアビーに恋の指南をするマイク。ようやく恋人になりそうな彼氏をみつけたアビーなのだが…。という話。

ストーリーは見ていただくとして、まあ、男というのは結局、美人になびくということなんですかね。結末は最初から見えている感じだし、その通り進んでいくので、映画を観るときは、細かいディテイル(画面の端っことか、背景にいるペアの男女とか)を気にしているといいかも。

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ハリーポッター謎のプリンス

昨日、関東地方では少し大きめの地震がありました。ちょうどそのときぼくは我孫子の駅前にあるビルの11階におりまして、ビルがユラーリユラーリいつまでも揺れるのを感じておりました。目が回ったような奇妙な感覚になりましたね。

さて、この週末は東京に戻りました。朝の新幹線はさすがに家族連れが多く、いつもの車内とは様子が違っておりました。

で、土曜日はエバが観たいぼくとハリーポッターが観たいわが妻との間で少々の議論がありましたが、ハリーです。

さて確か、この映画の宣伝で「これは最終章への序章に過ぎない」とあったと思うが、本当にそのとおりでした(はっきり言って、見なくていいかも)。

映画が終わって感じる疑問。「で?とりあえず今回の話の肝はなんだったのだろう?」

ロンの恋の行方や如何に?謎のプリンスの謎とは如何に?ダンブルドアの運命や如何に?燃えてしまったハグリッドの棲み家や如何に?飛び去っていった不死鳥の行方や如何に?

と、おそらくたくさんの疑問符とともにぼくたちは映画を見終わることになるでありましょう。

そしてエンドロールが終わり一番最後にでてくるもの。そういうことなのですねと、納得しました、本当に。とことん引っ張るのですねえ。

原作者はどうやらハリーポッターをとことん一人ぼっちにさせたいようですが、何もそこまでして最後の闘いを盛り上げることもないような気がしますが、どうなんでしょう。

最後の闘いで苦境にたったハリーポッターに、死んだ両親、シリウス、騎士団の仲間、ホグワースの友達総動員でハリーポッターを助けました。めでたしめでたし、のような予感ですが、まあそれでもいいか。ファンタジーなんだから。 

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トランスフォーマー・リベンジ

久しぶりの更新。

先週から今週にかけて、日本列島が梅雨前線に覆われ、各地で時折ひどい雨に見舞われていたころ、ぼくもどたばたと仕事やらお付き合いやら、いろいろしておりました。おいおいまたこの記事の中に現れてくるでしょう。

さて、実は東京の我が家のテレビが壊れてしまっておりました。かれこれ一ヶ月ほど。だから東京ではテレビの無い生活が続いております。

ぼくとしては、テレビが無いほうが家の中が静かでよいような気がしますし、子供たちはあまりテレビなどなくてもパソコンでYoutubeなどが見られればよいようであります。

が、そうはいってもぼくは我が恐竜軍の様子がきにかかるし、わが妻は韓流がきにかかる。

現在のテレビは忘れもしない1992年に買った、当時最新式の横長テレビであります。

年号を覚えているのは、当時やはり同じようにテレビが壊れており、まだ子供も小さく、静かなテレビの無い生活が送れていたのでありますが、その年にはオリンピックが開かれ(韓国五輪だったかな)、どうしてもオリンピックが見たくて(世の誘惑に乗ってしまい)ついに新型を買ってしまったという経験をしていたからであります。

で、今回。

結局本日、倍速フルハイビジョン液晶37型を買ってしまったわけであります。来週家には届きますが。

家でテレビみてればいいかもと思わせてくれたのは、今日のトランスフォーマー・リベンジという映画であるとの仮説も成立します。


ではいきさつを。

本日、新百合ヶ丘へいつものようにわが妻と映画鑑賞に。

映画館はエヴァンゲリオン人気なのか、いつもと違う人たちで大賑わい。そんな中でこちらはトランスフォーマー。前作が面白かったので、2作目も期待して入場。

結論。

DVDで見てればいいかも。


ユーモアの感覚も前作のほうが上だと思う。そして、最大の問題点が、全編をとおして戦いが繰り広げられるのだが、その戦いの主役がロボットである必要がないように思えてしまうというところだ。

この映画は意識をもった変身型ロボット生命体が、良い側と悪い側に別れ、その存続をかけて人類を巻き込んで戦い続けるというものだ。

前作のロボット君たちは変身の様子もなんとなく、ガチャガチャとしていていかにもメカっぽくてよろしかったのだが、今作はそのあたりが、もうどうでもいいから早く画面の中で、でかいロボットにしてしまえといわんばかりにCGでやっつけてしまった感が強く。せっかくのメカニカルが見にくい。

そうなると、ドンドンバチバチやっている連中が必ずしもロボットでなくても良いような気がしてくるし、やたら戦いのシーンが多く、その迫力はなかなかのものであるのだが、そんなに驚きがあるわけでもない。

それで、DVDが出たら借りてきて、ディテールがわかる程度の解像度のビジョンで見ればOKと思えてきてしまったのだ。


それで、話は壊れたテレビに戻るのだが、そんなこんなで、やはりここはひとつテレビを買いますか、このままじゃDVD見れないし、とぼく。賛同するわが妻。

で、結局その足で電気店の店頭をにぎわしていた液晶テレビを指差して、これちょうだい、という成り行きになったのでありました。はい、店頭展示品でありましたのでお値打ち価格で購入できましたけどね。リサイクル費用込みで12万円弱。エコポイントが20000円分となりますので、実質約10万円。

DVDでたらもう一度この映画、買ったばかりのテレビで見ますかって?…たぶん…見ないでしょうね。おしまい。

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T4

土曜日に新百合ヶ丘にて『ターミネーター4』を見た。

これも原作(シナリオの小説版か)を読んだ上で見たのでありますが、なかなかの迫力で興奮できます。

DVDが出てから家で鑑賞しても良いかもしれませんが、CGの迫力と緊迫感、そして轟音とどろく音響は大スクリーンでの鑑賞におすすめです。

画面つくりも緻密。おどろおどろし感もこれまでのシリーズとは一線を画している。ジョンやマーカス(ポイントとなる人物)などの人間描写も少し深い。

この物語、時間設定は未来ではあるが、話としてはターミネータ1(シュワちゃんが悪役で出てくるやつ)の前あたりに相当する。つまり、T1で未来からサラ・コナーのところにやってきたカイル・リース(ジョン・コナーの父親となる)が、まだティーンエイジャーの頃の話。

つまり、今後少なくともそのカイル・リースがもう少し成長し、未来から過去へタイムトリップするまでのストーリーが展開しなければならないわけだ。

T4で、この話の時間軸は未来に飛んだので、これからは主人公ジョン・コナーの物語として継続されるものと思われるし、そうあってほしい。

さらに、このT4では、スカイネットというコンピュータ知能の一端が見えてくるが、これがどこまで成長していくのか、怖いものみたさの興味がそそられ、そして泥沼の戦争がどう終末を迎えていくのか、関心はつきない。

アーノルド・シュワルツェネッガーがいなければターミネーターシリーズは続けられないかと思っていたが、そうではないことが判った。もちろんシュワちゃんトリビュートな人物もでてきて笑えますけどね。

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K200D + PENTAX FA50mm F1.4

写真は無関係ですが、アジサイのその後ってことで。

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天使と悪魔

先週末、ようやく映画を見にいった。

新百合ヶ丘で 天使と悪魔


原作は文庫本3冊分のボリューム。これを2時間の映画にまとめるのは少々難しかったかも。

だから、秘密結社イルミナティとバチカンの対立構造、そこに目をつけた暗殺計画の謎解きと、その仕掛けに翻弄されるラングドン教授たちの思考の過程を説明するのがたいへんだったように思う。

原作には謎と、その謎解きの解説が多く含まれている。だから、めっぽう面白い。しかし、限られた時間のなかですべてのどんでん返しを描ききらねばならないのだから、細かいところはすっ飛ばすしかないでしょう。そこは割り引いて考えましょう。

なまじ原作を読んでしまうと、少々物足りなくもありますが、原作を読んでいなくても、わが妻などは、けっこう面白がっておりました。なにせ凝縮されてテンポがいいので2時間があっという間にすぎてしまいます。ぼくも十分映像を楽しんでおりました。

どんでん返しに次ぐどんでん返しで、まったく退屈している暇はありません。飲み物を買っていっても飲んでいる時間は無いかも。

そして映像。

ローマという古代都市、今に生きている遺産が謎解きパズルのピースになっているのだが、その町の情景が綺麗に撮れていて、ぼくなどは単純だから、やっぱりローマには是非行きたいと思ってしまった。

ベルニーニの彫刻はいいですね。「聖女テレサの法悦」実物を見てみたいものです。

サンタンジェロ城の天使の彫刻もじつにすばらしい。こんな遺跡が残っている都市というイメージがあまりなかっただけに、ぼくには映像が本当に新鮮でした。

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禅 ZEN

風が涼やかで散歩するにはもってこいだったので、なんとなく小田急線に乗って気のおもむくままに行ってみた。

新宿行きに乗って、さて下北沢で降りるか、代々木上原で乗り換えるか、などと考えていたらウトウトしてしまい、終点の新宿についてしまった。

さて、自分はどこに行きたいのだろうか、と自分に聞きながら歩いていると、なんとなく総武線に乗ってしまった。総武線はガラガラで、このまま行けば津田沼だ、などとおもいつつ。

さて自分はどこまでいけばいいのだろうか、などと思っていたら飯田橋についたので突然降りた。降りたのはいいけれど行くあてもない。しばらくホームのベンチに座り、風を感じていた。

駅から出て、道玄坂を登ろうと思ったが、日差しが強くて、すぐに逃げ出したくなった。それでまた総武線に乗り、市ヶ谷で降りた。

地下鉄に乗り換えようと思ったわけだ。有楽町線か都営線か、と考えていたら自分は都営線に向かって歩いていた。次に来た電車に乗ろうと思っていたら新宿行きが来た。

そして新宿三丁目まで行った。腹が減ったので地上に出てラーメンを食べた。ラーメンを食べたら三丁目の裏道を歩きたくなって、人通りの少ない路地裏を歩いてみた。カメラを持ってこなかったことを後悔した。

少し汗ばんでしまってどこか涼しいところはないかと思っていたら、目の前に映画館があった。それで入った。 『禅 ZEN』という映画が始まるところだった。座席数50席くらいの小さい映画館だった。.

でも半分くらいの席は埋まっており意外な感じだった。

映画は道元和上の半生記だ。永平寺で禅を広めるにいたった経緯がドラマになっている。が、それほどドラマチックであるわけでも、教義に深く立ち入るような奥深さもあるわけではない。

そのくせ配役に資金は使ってしまった感がある。

映画が始まってすぐにぼくは脱力。中国(宋の時代)に道元が赴き、仏法を極めた先達を探し求める場面、実際に中国でロケをしたようなのだが、出てくる中国人役に西村雅彦とか笹野高史というような日本人俳優、もちろん中国語のせりふを話すのだが、どうしても先入観が強すぎて中国人に見えず嘘っぽく、まったく気持ちが盛り上がらなかった。ここは現地の人を使ってほしかった。主役の中村勘太郎の中国語は上手だったように思うのですが。

で、道元が日本に帰ってきてようやく日本国内の場面になって、ぼくの気持ちも落ち着き、ようやくまともに画面に集中できるようになった。が、もともと道元が禅を広めていく過程にスポットを当てている話なので、盛り上がりは無い。それで2つ3つほど伏線が用意してあって、そのひとつに貧しい遊女。その役に内田有紀なのだが、どうみても遊女には見えないし。

比叡山の坊主どもが、道元を異教の徒として迫害する場面も迫力ないし。しらないうちに道元が歳をとってしまって、あれあれというまに死んでしまうし。なにもいいことないうちに遊女は出家していて、中国を歩いていたりして。

ただ、ひとつとても参考になったのは、「仏は内にある」という言葉。内なる仏と向き合うために座禅を組むということ。座禅を組むときに両手を合わせて小さな器をつくるようにするが、その中に仏が鎮座しているのだということ。これにはなるほどと思った。

死んで仏に会うのではなく、生きている間に自分の内にある仏に出会うこと。これが座禅の本当の意味というようなせりふがでてくるが、そうか、そうであったかとぼくも得心。

その意味ひとつ判っただけで、今日はよかったかな。なんとなくそんな気分で映画館を出た。

新宿駅に向かう新宿通りは歩行者天国で、いつものような賑わいだった。いつの間にか西に傾いた太陽がオレンジ色に街のビルを輝かせており、静かな街の四角い空にザワザワとした人の声が反射しているような気がした。

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