会場への長い行列に並び、ぼくたちは缶ビールを飲んだ。3つ飲んだところで行列が動き出した。
受付でチケットと引き換えに木製のペンダントをもらう。ぼくがここにやってきた38年前と同じ仕組みだ。そのペンダントが入退場パスになるのだ。
会場には手作りの幟旗が何本も、あの時と同じようにユーモアたっぷりにはためいている。
サブステージもあった。昔はもっとたくさんあった。今回は雨に次ぐ雨で、ぼくはほとんど歩き回ることもなかった。
雨ってのは憂鬱なものだ。
会場がオープンしたときはまだ小雨模様の空だった。
ぼくたちは、やや後ろよりにシートを敷き、ピクニックよろしくそこでビールを飲み食べ物を食べ、寝っころがったりしながら、ノンビリ見るつもりだった。こころもウキウキしていた。
正午。いよいよステージが始まるころになって雨が降り出した。
雨は土のグランドをどんどん水溜りに替え始めた。
雷もなり始めた。停電にでもなってしまったらどうなることやら。心配だった。
ぼくの前に水は溜まる。
皆、合羽を着込み傘を差しているので、もはやステージはよく見えない。ぼくはビールを飲んで演奏に耳を傾けた。次第に雨の中で寝てしまった。
夕方になって雲の切れ間から陽が差し込み始めた。いっせいに観客も背伸びをして、冷たく固まった身体を伸ばすのだった。
西の空がぽっかり晴れた。そのまま夜に向かっていった。
夜になってステージが照明に浮かび上がるようになった。
12時から21時まで、たくさんの人たちが演奏し、懐かしい曲には会場も一体となって歌声が響いた。
曲の合間に昔のエピソードが語られた。みな40年前のことを懐かしく振り返っているようだった。
雨の中ずっと歌を聞いて(途中酔って寝てしまったが)、たんに懐かしさだけを求めてやってきたわけではないことに気がついた。
昔の曲もどれひとつとして昔のままではないし、歌手のひとたちもその一曲を大事に歌い続けてきていることがよくわかった。
早川義夫のサルビアの花が新しく聞こえた。
加川良の歌は沁みた。生活の柄を高田渡の思いでとともに唄った。
中川イサトのギターは暖かい音がした。
遠藤賢司のメッセージは強かった。
’09 椛の湖 FOLK JAMBOREE
すべてが終了したとき、これでもかっというほど大量の雨が降ってきた。
この会場を手作りで作り上げた実行委員の方々に感謝。
次回はいつ行われるのだろう。そのときもまた行きたいと思う。
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