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禅 ZEN

風が涼やかで散歩するにはもってこいだったので、なんとなく小田急線に乗って気のおもむくままに行ってみた。

新宿行きに乗って、さて下北沢で降りるか、代々木上原で乗り換えるか、などと考えていたらウトウトしてしまい、終点の新宿についてしまった。

さて、自分はどこに行きたいのだろうか、と自分に聞きながら歩いていると、なんとなく総武線に乗ってしまった。総武線はガラガラで、このまま行けば津田沼だ、などとおもいつつ。

さて自分はどこまでいけばいいのだろうか、などと思っていたら飯田橋についたので突然降りた。降りたのはいいけれど行くあてもない。しばらくホームのベンチに座り、風を感じていた。

駅から出て、道玄坂を登ろうと思ったが、日差しが強くて、すぐに逃げ出したくなった。それでまた総武線に乗り、市ヶ谷で降りた。

地下鉄に乗り換えようと思ったわけだ。有楽町線か都営線か、と考えていたら自分は都営線に向かって歩いていた。次に来た電車に乗ろうと思っていたら新宿行きが来た。

そして新宿三丁目まで行った。腹が減ったので地上に出てラーメンを食べた。ラーメンを食べたら三丁目の裏道を歩きたくなって、人通りの少ない路地裏を歩いてみた。カメラを持ってこなかったことを後悔した。

少し汗ばんでしまってどこか涼しいところはないかと思っていたら、目の前に映画館があった。それで入った。 『禅 ZEN』という映画が始まるところだった。座席数50席くらいの小さい映画館だった。.

でも半分くらいの席は埋まっており意外な感じだった。

映画は道元和上の半生記だ。永平寺で禅を広めるにいたった経緯がドラマになっている。が、それほどドラマチックであるわけでも、教義に深く立ち入るような奥深さもあるわけではない。

そのくせ配役に資金は使ってしまった感がある。

映画が始まってすぐにぼくは脱力。中国(宋の時代)に道元が赴き、仏法を極めた先達を探し求める場面、実際に中国でロケをしたようなのだが、出てくる中国人役に西村雅彦とか笹野高史というような日本人俳優、もちろん中国語のせりふを話すのだが、どうしても先入観が強すぎて中国人に見えず嘘っぽく、まったく気持ちが盛り上がらなかった。ここは現地の人を使ってほしかった。主役の中村勘太郎の中国語は上手だったように思うのですが。

で、道元が日本に帰ってきてようやく日本国内の場面になって、ぼくの気持ちも落ち着き、ようやくまともに画面に集中できるようになった。が、もともと道元が禅を広めていく過程にスポットを当てている話なので、盛り上がりは無い。それで2つ3つほど伏線が用意してあって、そのひとつに貧しい遊女。その役に内田有紀なのだが、どうみても遊女には見えないし。

比叡山の坊主どもが、道元を異教の徒として迫害する場面も迫力ないし。しらないうちに道元が歳をとってしまって、あれあれというまに死んでしまうし。なにもいいことないうちに遊女は出家していて、中国を歩いていたりして。

ただ、ひとつとても参考になったのは、「仏は内にある」という言葉。内なる仏と向き合うために座禅を組むということ。座禅を組むときに両手を合わせて小さな器をつくるようにするが、その中に仏が鎮座しているのだということ。これにはなるほどと思った。

死んで仏に会うのではなく、生きている間に自分の内にある仏に出会うこと。これが座禅の本当の意味というようなせりふがでてくるが、そうか、そうであったかとぼくも得心。

その意味ひとつ判っただけで、今日はよかったかな。なんとなくそんな気分で映画館を出た。

新宿駅に向かう新宿通りは歩行者天国で、いつものような賑わいだった。いつの間にか西に傾いた太陽がオレンジ色に街のビルを輝かせており、静かな街の四角い空にザワザワとした人の声が反射しているような気がした。

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