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危なかった

三島は河津桜が満開だった。

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softbank PHOTOS 920SC

桜がもうこんなに咲いているということに驚いた。

今朝の愛知県は昨日までの暖かさが急変し、寒さがぶり返し、歩いていても耳が痛くなり、吹き溜まりには氷が張っているほど気温が下がったからだ。

桜を見てすこし気持ちが華やいだ。…だからか。

そして夕方、三島から名古屋に帰る新幹線を待つ間、三島駅に新しく出来た寿司屋でちょっとお酒を飲んだ。3合ほど飲んだ。時の財務大臣ではないが、そのため自分でも驚くほど酔ってしまったのだ。その酔いは1時間も過ぎた頃、ぼくを襲った。

新幹線が名古屋駅に近づいてくるに従い、具合が悪くなった。視界がどんどん暗くなり、見える範囲がどんどん狭くなってきた。

経験上、これは非常にまずい状態だ。体内の警報機はアラームを鳴り響かせている。ひょっとするとこのまま倒れこんでしまうかもしれない。

新幹線が名古屋駅のホームに滑り込み、ドアが開き、乗客が降りはじめる。ぼくは立っているだけで精一杯の状態だった。もうだめかもしれないと思った。

幸いにしてドアの前がホームの待合室だった。フラフラとぼくは待合室のソファに倒れこんだ。

胸下にこみ上げるものがあった。まずい、まずいと頭の中でだれかが叫んでいる。視界がますます狭く暗くなった。

完全な貧血状態だ。

ぼくはソファでしばらくじっとしていた。もはやほとんど動けない。動けば胃の中のものが堰を切って逆流してきそうなほど気持ちが悪い。

じっとしているしかない。目をつぶってもいけない。目をとじると必ずもっと具合が悪くなる。今は貧血状態になった頭に血液が回ってくるのを待つだけだ。待つだけ。待つ。このまま動けなくなったらどうなるだろうか、とか、誰かを呼ぼうかとか、とりとめもなく考えつつ、待った。

手を握ったり開いたりして気を紛らわした。

何本か新幹線が到着しては出発していった。ようやく胸の辺りが楽になった。が、まだ少し目が回っている。けれどもこのままにしているわけにもいかない。

ぼくはゆっくりと深い呼吸を繰り返しながら、あせらず歩いた。名鉄の駅まで、ふつうなら5分程度で行くところを10分以上かけて歩いた。はたから見たら完全なヨッパライだったことだろう。

なんとか名鉄電車に乗ったころ、ようやくめまいがなくなった。ほっとした。あぶなかった。ホームで転倒でもしていたらまずかった。

これも桜のせいか。いや、ただ飲みすぎだ。

すきっ腹に3合も酒を飲んでしまった自分を諌めた。反省。

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人間ドッグ

今日は人間ドッグ。毎年の定例行事。

一昨年、ドッグの結果異常が見つかり約一週間の入院をした。やはり定期的な検診は必要だと思っております。

で、今年もいつものようにわが妻かおりさんと高円寺まで出かけ、半日間検診センターの、暖房の効いた部屋の中を、サウナの室内着みたいな、アッパッパな格好でウロウロし。

朝の8時から始まったドッグ検診はおよそ4時間後の12時少し前に、医師の所見を受けておしまい。今年も特に異常なし。血液の脂質系はぎりぎりセーフ。中性脂肪が170とやや高め。はい、いつものとおり、もう少し運動しましょうね、と優しく女医さんから言われました。

そうはいっても、なにせ運動嫌いですからわたくしは。毎朝歩くのだけで気分は十分なのです。

で、お昼を高円寺のすし屋ですませまして、中央線に乗りますと、下剤が効いてまいりまして、これまた恒例の某デパートへ駆け込みました。もちろん、そこでお買い物をさせていただいておりますので、あしからず。

この人間ドッグが終わると、ああ、今年も一年終わったなあと思います。そしてまた春がくるわけですね。

明日は、久しぶりのドライブで房総方面に行ってきます。

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女城主の蔵開き

岐阜県恵那市岩村町にある岩村醸造の蔵開きがあったので行ってきた。

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岩村町は女城主の町として有名である。その町にある一軒の造り酒屋。新酒の振舞い酒である。

客はひとつ100円の猪口を入り口で買って中に入る。昔ながらの酒屋の奥に新酒の樽が用意してあり、思い思いに柄杓で注いで飲む。飲む。飲む。どれだけ飲んでも無料。

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しかし、けっしてすきっ腹にのんではいけない。飲み口がよいのと、蔵出しの酒はアルコール度数が高いので本当に酔う。冗談でなく、ひっくり返って救急車で運ばれた人もいた。ぼくはもちろんその前に蕎麦を食べてきている。準備万端。

中では4種類の酒が用意されていたので、それぞれを味わった。どれも美味しかった。その後酔い冷ましのために町にでる。街では今、雛人形が商店、民家で展示されており、ぼくたち観光客は人形を自由に見せてもらえた。
町をあげて雛人形を観光の目玉にしている。その展示の仕方が素朴でいい。雑貨屋の奥とか、民家の座敷に自然に飾ってある。

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江戸時代からの年代物も多く、いろいろな思い出の詰まったそれぞれの家の人形を見せてもらうだけでも価値があった。

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K200D + PENTAX smc FA50mm F1.4

五平餅や漬物、カステラなどを売っているお店に入り、人形を見せてもらい、そしてお茶をいただき、お土産を買うという、なんだかとてもノンビリとした、そして町の人の温かさを感じた小旅行でありました。

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突然

2週間ほど前、ある知人と会う約束をした。

久しぶりですからゆっくり話がしたいですね。そんな声が聞こえた。

そして約束の日、今日。約束の時間は午後2時。

知人の会社からの連絡を受け、ぼくは指定された場所に行った。午後1時半。

彼は眠っていた。棺の中で。

突然の死だった。本人も気がつかないまま天国に行ってしまったような。

人間ドッグでも異常は指摘されていなかったということだった。しかし体内の時限爆弾は突然爆発し動脈壁を破壊した。あっという間の出来事だったそうだ。

皆あっけにとられてなにがなんだか判らないという状況の中、葬祭は淡々と進んだ。

ホールに響く賛美歌と神父の声が穏やかだった。

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誰も守ってくれない

昨日は月初めの1日だったので映画館が(どこもですか?)安かった。で、2本見た。一本目が『ゲバラ』そして二本目は『誰も守ってくれない』

今、後悔しているのは、どちらも明るい雰囲気の映画ではなかったこと。かといってボロボロ涙が出てスッキリするわけでもなかったこと。それが連続したのでやや気持ちが萎えたことも事実。

といって、どちらも悪い映画ではなかったので満足はしている。

さて、この映画。『母べぇ』で吉永さんの娘を演じた志田未来ちゃんが主演している。15歳の勝気でけなげな役を等身大に演じている。その娘(沙織)を保護して守る刑事役が佐藤浩市で、なにかわけありな設定となっている。その設定の意味するところがこの映画の主題に絡む。

この映画のテーマだが、昨今の社会状況の中ではタイムリーなものだ。ぼくも常々、凶悪犯の家族について考えることがあった。もしも自分の息子が犯罪でも犯したら、ぼくはどう立ち回るのがよいのだろうか、とか、マスコミからの容赦ない追求にどうやって耐えていくのだろうか、などと。

映画では、犯人(ここでは一家の長男)が逮捕され、家の周りが騒然としている中、速やかに警察が家族を保護し、裁判所は家族が戸惑っている最中に出張してきて離婚調停までしてしまう様が映画前半で描かれるが、本当にありそうで、笑ってなどいられない。

そうか、残された家族は犯人と家族であったという痕跡を消していくために、そんな行動を起こす必要があるのか。

映画は娘沙織が直面していく悲劇を追っていく。これでもか、という展開のテンポはいい。登場人物が多いのだが役割が淡白なので、もう少し濃い役割(というか、えっ?という驚きのある)人がいてもよかったような感じ。うーん、そういうのが一人だけいたかな。彼はもっと「悪」でもよかった。十分悪いか。

終盤、彼女はこれからどうなっていくのだろうかと、見るものが漠然とした不安の中でオロオロしている中、映画は終わっていく。決してハッピイエンドではない。その不安感はまさしく自分が彼女と同じ立場になったとき、その事実とどう向き合えばよいのかという不安でもある。

この残像は結構自分の中に残る。さあ、どう消化しましょうか。

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チェ、39歳別れの手紙

昨日(土曜日)は一日仕事だった。

17時ごろに仕事が終って仲間とともに中華料理(岩倉の天山ですね)に行って、ビールと紹興酒を飲んだ。

飲んだ。

それで、家に帰ったはいいものの、すぐに眠くなってしまって21時頃、寝てしまった。

そんなに早く寝てしまったものだから、早く目が覚めてしまった。一度目が覚めたら、寝られない。酒を飲んだ翌日というのは目覚めが早い。だから3時に完全に起きてしまった。

部屋に朝陽が差し込んできたころには、朝ごはんのスパゲティ(そう、朝からスパなのだ)も食べ終わり、ウーロン茶も3杯ほど飲み終わり、さあ、今日はどうしようかと考えた。

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K200D + PENTAX smc FA50mm F1.4

考えて出てきた答えは「映画」ですね。

近くのシネコンへ行き、『チェ、39歳別れの手紙』を見た。

すでに見た『チェ、28歳の革命』の続編である。キューバ革命を成功させたゲバラは、そのまま国内での政治に身をおくことなく、再び南米の貧しい農民達のもとに帰っていく。ボリビアでのゲリラ戦闘に身を投じ、最後に拘束され死ぬまでの約1年間の様子を、ゲバラの記録に基づいて再現している。

見ているぼくらは、ゲバラが死ぬことは判っているわけなので、バックアップに回るはずの共産党が後方支援を徐々に縮小させていく流れを知ったり、本来はゲリラ側につくはずの農民達が、結局政府側につき、次々とゲリラ軍を裏切っていく様をみていくに従い、いつの間にかゲバラと気持ちを同化させていく。

仲間が次第に減り、食料も尽き、深い谷間に孤立していく状況画面ではもはや絶望しかない。逃げようとする若い兵士達に「俺達は絶対に仲間を見捨てない」と鼓舞するゲバラは痛々しい。持病である喘息に喘ぎながら、それでも戦闘を止めない。

そしてついに政府軍に囚われ、処刑される。ゲバラの視界が次第に薄れ、音も消えていきエンディングとなる。映画が終りエンドロールが流れはじめて、ぼくらはいつもと違う状態に気づく。この映画は是非最後のエンドロールまでしっかり席に座っていることをお勧めする。

ゲバラが事実この世にいない、ということに気づかされる。戦闘などせず、子供達とともに生きていきたかったであろうゲバラの本当の気持ちも感じられる。村の子供とカメラでじゃれ合うゲバラが写るが、その顔がいかにも柔和で美しい。囚われた小屋の中で若い兵士と子供の話をすると、兵士はそのゲバラに感情移入してしまいそうになり、すんでのところで拘束を解きかねない自分を制止する。

全編でゲバラを追悼しているような映画だ。前編のサクセスストーリー、後半の破局と続けてみることによって、死なねばならなかったゲバラの遺志が判るような気がした。

さて、この映画、新作封切りで日曜日だったのに観客は15人でした。大丈夫かな。

今日はさらに1日(ファーストデイ)だったので、映画が1000円で見られる日でもあったので、この後、ぼくはもう一本「誰も守ってくれない」を見たのでありますが、その話はまた明日ということで。

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