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井上康生選手、最後の戦い

全日本柔道選手権大会にいった。場所は日本武道館。

今回は指定席券を入手することができなかった。前売り券は自由席を残してすべて発売初日に売り切れたため、今回はやむなく2階自由席である。早く行って良い席を取る必要がある。

なわけで、ぼくとわが妻かおりさんは9時には武道館に到着し、自由席入り口に並んだ。すでに200人くらいの行列である。

9時45分頃、開門となりぼくは一目散に2階最前列を確保した。良い席が取れた。

席に座ってふと試合場を見ると、ジャージ姿の井上康生選手が青畳の上にいた。珍しいことである。普段の彼はあまり試合前に姿を見せたことはない。場内の観客はあまり気づいていないようである。

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康生選手は、青畳に上がると、いつくしむように畳をさすり、寝転んだ。寝転んだまま畳の声を聞いているのか、また、はるかな高みにある武道館の天井を見つめているのか、しばらく動かなかった。

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この姿をみて、ぼくは、康生選手がなにか特別な覚悟を決めに来たのではないかと思った。

開会式が終わり、第一回戦、第二回戦と試合は進んだ。他ライバル達も順調に勝ち進んだ。一回戦はシードとなった康生選手は2回戦から登場した。逃げ腰の相手に対し(ほとんど相手にならないのだが)結構苦戦。それでも優勢勝ちとなり、三回戦に進んだ。

三回戦は綺麗な一本勝ちだった。今日は調子がよいのではないかと思った。表情もなにかいつもと違う。試合を楽しんでいるような感じがした。

康生選手が負けるときは、なにかいつも迷っているというか、試合場におもむくそのときまで、なにか考え事をしているような顔をしているのだが、九州で行われた体重別選手権大会のときから、そういう迷いのような表情がなくなったように思う。

そして4回戦。相手は100キロ超級のライバルの一人、高井選手である。彼には最近は一勝一敗。さてどうなるか。

試合開始。にらみ合い。康生選手にまず警告。次第に良くなる動き。連続で打ち出される技。しかし、ここひとつというところで決まらない。場内は康生コールが鳴り響く。続いて高井選手にも警告。これで五分。前に出る康生選手。残り1分を切る。このまま押し切れば優勢は康生選手。だれもがそう思った。

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その後も立て続けに攻める康生選手。

しかし、もはや時間がない。康生選手のかけた内股がはずれ崩れる二人。技ありは高井選手。一瞬動きが止まったのが康生選手。そのほんのわずかな隙に高井選手が押さえ込みに入る。完全にきまった。動かない康生選手。

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押さえ込まれた康生選手は、武道館の底から、はからずも試合前にしていたように身動きせず、天井を見つめていた。

25秒経ち、合わせ技が決まって、一本のコール。

高井選手の下から這い出た康生選手は、顔をゴシゴシと両手でしごいた。涙を隠したのか。

武道館に響いていた絶叫が止み、大きな拍手となった。試合を終えた康生選手は畳を降りるとき、いつもより長くじっと畳に頭を下げた。さようなら、と伝えていたのかもしれない。また来るよと言っていたのかもしれない。

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そして控え室に消えていった。

康生選手は負けた。しかも一本負けだ。高井選手の身体が身に押しかかってきたとき、ついに彼のその胸に刃が刺さったのだと思う。いままで、国内では優勢負けこそあれど、一本負けはなかった(と思う)。それだけに、煮え切らない思いが、ぼくらにもあった。

今日、それが晴れた。はっきりとした負けの宣告を受け、なにかさっぱりした。見ていたぼくらもそんな感じを持った。悲しいけれど嬉しい、そんな気持ちだった。

表彰式が始まる前、康生選手はいろいろな人に挨拶をしていた。横綱朝青龍関とも握手していた。負けた康生選手をみなが祝福しているように感じた。優勝した石井選手が気の毒になるほど、表彰式が終わってからも康生選手への声援が熱く続いた。

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康生選手の闘う姿を、もう一度見たい。その願いは、たぶんもうかなわない。

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